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東南アジアへの旅

10月中旬から10日間、出張の夫に付いて、東南アジアを旅行していました。シンガポールから入って、タイ・バンコク、ベトナム・ホーチミン、そしてシンガポール経由でオークランドへ。

思い返せば、20年前にマレーシアとシンガポールを訪れたのが最後の東南アジア旅行。久しぶりのむわんとした空気がなんだか懐かしい感じ。日本への帰省もずっと冬の時期なので、こういう気候に当たることがなかったのですが、思ったより不快ではなくて、我ながら意外。体が湿気と温度を懐かしんでいる、喜んでいるという感じでした。

シンガポール、バンコク、ホーチミン、それぞれに思い出に残るエピソード、食べ物、人との出会いがありました。

<シンガポール>
まず気づいたのは、中国系の国のはずなのに、表記はまるっきり英語ばっかりということ。シンガポール植物園の掲示もすべて英語だけ。たしかにどこでも英語でコミュニケーションがスムーズに取れて非常に楽でしたが、なんだか不思議。耳を澄ましていると、日常会話は中国語がメインのよう。

現地在住の日本人の方々と会食する機会があったので聞いてみたところ、もともとは中国語の一つ、福建語を話す人が多く、国歌は公用語の一つ、マレー語で歌われるとのこと。そして、これまではもっぱら英語教育に力を入れてきたけれど、現在はこれではだめだ、シンガポール人としてのアイデンティティを確立しなければ、という動きになっていて、学校ではマンダリン(標準中国語)教育が重視されているそうです。

そして、シンガポール建国から現在までの歴史を知るのにお勧めの作品「Long Long Time Ago」を教えてもらい、オークランドへの帰りがちょうどシンガポール航空だったので、上下4時間一気に見ました。


ずっと字幕を読み続けなければならないので疲れましたが、ビジュアルでシンガポールの歴史が分かり、面白かったです。ただ、きっと、映像になった部分よりもっともっと、辛い事実があるとは私でも察することができます。この小さな国をここまで成長させるには、押さえつけなければならない反対や妨害、声があったはずです。今でも高齢の人は、政府の統制の動きにかなり敏感とのことでした。それでも、この国をここまで成長させた李光耀氏は、たぐいまれなる先見の明と統率力があった、ということなのでしょう。

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シンガポール植物園は、ランを始め、お花がとってもきれいで、手入れも行き届いていて、気持ち良かったです。

<バンコク>
機内で「シン・ゴジラ」を見ているたったの2時間ほどの移動で、ここまで人や文化が変わるとは、分かっていてもびっくり、というぐらい、雰囲気ががらりと変わりました。

まず、文字が読めない。英語も通じない。そして、人々がとっても穏やかで、目が合うとにっこり。25年ほど前に家族で旅行したことがありましたが、そのころからあまり変化はないようでした。ただ、以前は「タイ料理っておいしくないなー」と思っていたのが、私自身がNZに住んでいろいろな味を経験したために、どれもこれもおいしかった!
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もち米をココナッツミルクで甘く煮込んだタイを代表するデザート。マンゴーとの組み合わせが絶妙。空港にもセットで売っていて、買って帰りたかったです。

ただ、カニ料理を食べに行くタクシーから、物売りの少年が信号待ちの車にぺこりぺこりとお辞儀をしているのを見かけて、「ああ、そうなんだ、ここは発展途上国なんだ」と胸が痛みました。これから食べる料理のお金で、渋滞する車の合間を命をかけて歩く彼の売り上げの何日分になるのでしょうか。どうすることもできないけれど、できないだけに。

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国王死去の直後だったので、町のあちこちで、白と黒の布飾りが付けられ、人々は真っ黒な装い。私たちもシンガポールのユニクロであわてて、黒い服を購入。ありがとう、ユニクロ。

<ホーチミン>
さらに短い1時間半ほどの飛行時間で、またまたガラリと変わります。文字は、フランス統治時代に漢字からアルファベット式に変わったので、タイ語ほどの違和感はありません。

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フランス植民地時代の美しい建築があちこちに残されています。

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とにかく、まず目につくのは、バイク。バイクが市民の足として、二人乗り、三人乗りで、ものすごい数が道路にあふれています。HONDA、してやったり。自家用車に高い税金を課するシンガポールでは、その代わりに公共交通機関やタクシーが充実しています。また、バンコクでもすでにかなり電車が開通しています。しかし、ホーチミンでは、ようやく建設が緒に就いたところ。しかも、信号は数が極端に少なく、たとえあっても、青だからと悠長にわたっていては、ひかれること間違いなし。道路を横断する際には、車だけでなく、右から左からやってくるバイクにも注意を払い、素早く、でもあせらずに移動する必要があります。

市内観光を頼んだガイドさんは、大学で日本語を第二外国語で学び、それから10年以上、日本人相手のガイドをしているそうです。でも、1歳と3歳の子供がいるので、飛行機の発着の関係で朝が早く、夜が遅いこの仕事はやめたい、と言っていました。中国ほどではないですが、やはり政府批判への統制はあるらしく、ネットでの書き込みは引っかかるそうです。でも、「ミルクが高い」「義務教育がなくて、教育はすべて有料」「共産党員を親に持たなければ豊かになれない」と、愚痴をこぼしていました。ホーチミンさんは、このような現状を理想としていたのでしょうか? ホーチミンさんが存命だとしても、このような状況になっていたのでしょうか?

まだまだベトナム戦争時代の被害は続いており、私の想像をはるかに超えていました。観光に入っていた「戦争証拠博物館」の入り口では、枯葉剤被害の第二世代の子供たちが楽器演奏や手芸をしていました。見世物そのもので見るのがつらかったですが、ささやなか寄付だけはしてきました。

物価は安いですが、もちろん観光客のためだけの料金、観光客のためだけのサービスが存在します。シェラトンホテルで食事をした時、ウェイターさんがとても流暢なアメリカ英語をしゃべったので、夫が勉強方法を尋ねたところ、「高校まで習ったけれど足りなかったので、YouTubeで勉強した」とのことで、びっくり。さらに、「来月にはドバイに行って、別のホテルで働く」と言っていました。やる気がある、優秀な若者は外に出ていく、ということでしょうか。

そして、「ドル」「日本円」へのぎらぎら感が強くて、空港は「ドル表示」しかないほど(聞いたら、すらすらとドン建ての値段を教えてくれましたが)。しかも1万ドンが50円なんて0が多すぎて、計算が難しい!! 郵便局で切手を買ったときに、10500ドンだったのに、11000ドン払ってお釣りがなかったのは、500ドンなんて少額すぎて無意味だからだそう。ガイドさんによると、「日本みたいに、銀行が最後のケタまで計算を合わせる、という概念はない」とのことでした。なんだそれ。

食事は、安い食堂からホテルのレストランまで、どこもおいしかったです。野菜やハーブ、フルーツの種類が豊富で、麺類も私が好きな米粉のヌードルがおいしいし、スイーツもあれこれとあって、おまけにフランス植民地時代の影響でパン類も充実。おなかに余裕があったら、もっとあれこれ食べたかったですが、せいいっぱい満喫しました。

ということで、10日間、あっという間でしたが、とっても充実した旅でした。知らないところで、いろいろな人や文化に出会うということは、刺激的で、楽しいことだなあ、旅っていいなあ、と改めて思ったのでした。



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No title

映子さん、こんにちは。いつもROM専で失礼しております。
素敵な記事👏👏👏
と思わず書き込んでしまいました。
ありがとうございます!

Re: No title

お久しぶりですー。コメント、ありがとうございます!!!
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Author:映子

オークランド留学センター
に勤務。翻訳を担当しています。

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